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祭りの海峡
ISBN 978-4-939042-19-5 C0093
著者 橋本 康介
発行 アットワークス/2006年9月発行
体裁 四六判・268ページ・ハードカバー
定価 本体1,800円+税

  


戦前・戦後・現代…大阪・北海道・朝鮮半島…男女・世代…、全共闘団塊世代が時空を超え回生を求めて、60年代後半の大学闘争、戦前・戦後の朝鮮半島と関西で闘われた闘い、在日との関わりへと彷徨い、新たなる展望を予感する生き様小説。

●各世代から推薦の言葉●

70歳代 金時鐘さん
(詩人)
 これは、遠のいた戦後五十年を刻み直している意地の「敗残記」である。それは、はしなくも在日朝鮮人の生存の一断面をも浮かび上がらせていて感銘深いものがある。
 とりわけ、丈一郎が議員辞職に至る顛末のくだりは息を呑むばかりの迫真力があり、美枝子が探す人物の渡日シーンや五十年前の未遂事件が描かれる最終章は、読む者をして粛然とさせる。
 敗北ではなく「敗残」…残っているものがあるのなら、残された時間に活かしてもらいたい。

50歳代 清水啓三さん
(詩人)
【海峡を越えんと紅きものうごく】    富澤赤黄男 
「天の狼」所収のこの句をたちまちに思い起こした。
時間のフィルターを通してみれば、単なる社会現象に見えてしまう歴史……。
これは、歴史を内側から見るといった皮相な言い方でなく、現象を突き動かしてきたものを、大げさにいえば「時代精神」のようなものとして定位しようとする試みである。

30歳代 桂むつこさん
(茨木市議会議員)
 出来うる限り避けたい小説がある。それは、日本の左翼・新左翼がかった男性作家が書く小説だ。その作品の多くに共通する「私的な、甘い、過去への郷愁」と「男性的マッチョな視点」というダブルパンチに耐えられないのだ。
 が、「海峡」の主要な女性たちには、作品に登場する花の命が終わるときの表現のように、生き方や性格などそれぞれ違いながらも、潔さと各々の「スタイルを持ち続ける強さ」がある。男性である作者の「理想」や「幻想」が入っている感はありながらも、彼女らの、何事かを抱え、何ものかをみつけ、それを守っていく姿や言葉は、理論や理屈ぬきで、気持ちが「わかって」しまった。
 20代前半に何度となく「20年早く生まれたかった」と思い続けた私にとって、『祭りの海峡』は「わかり得ないだろうけれども知りたかった」「あの時代」のいくつかのことに、初めて、近づくことができた作品だった。
読者コメント

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 拝読して目をみはる一文を見つけました。以下に抜き出します。
『アイデンティティとはたぶん、あらゆる属性を取っ払った「非帰属」の孤立、格闘の果てに誠実に発見した内なる「他者」、そこに立って渇望する「連帯」、そこでしか構想できないものだと思う』
私もそう思う者の一人です。(丁 章・詩人。和寧文化社主宰)

 「祭りの海峡」読み終えました! 前作「祭りの笛」の十倍面白かったです。年長の「団塊の世代」「全共闘世代」「全共闘残り香世代」に「無気力」やの「無関心」やのと虐められてきた私にとって、三者はまぎれもなく「敵」でありました。しかし「祭りの笛」「祭りの海峡」は、敵視していた人達が世代の城壁に囲い込んでいた「柔らかくて湿った、生暖かい」モノを、ようやくボンヤリと見せてくれました。(42歳・和紙作家)

 『この小説は朝鮮半島と日本の、「海峡」と「地峡」を往来した三世代を描いた現代の「混血文学」とも言える。
物語は西日本の物流の大動脈、京都と大阪の間の、歴史的事件が重なる「地峡」の五十年前の未遂事件(米軍貨物列車爆破計画)からはじまる。その未遂事件を追跡するのではなく、「在日」混血母山本美枝子が書こうとした未完の遺稿をめぐる登場人物の内面世界を描いてゆく。
それはあくまでも未完の『・・・序章』ではじまり、未完の『・・・序章』におわる。それは、団塊・全共闘世代作者の精神史でもある。
読者を引きつけて放さない迫力が文章のディテールにあり、とくに「玉場のジョー」はよかった。
作者のモチーフは、あるいはハンナ・アーレント(ユダヤ人女性哲学者)が言った「成功した革命はない」という言葉であったかもしれない。つまり革命とは「永遠の序章」なのだと・・・。
第一作『祭りの笛』をしのぐ出来映えだ。読後感はさわやかである。』(脇田憲一・労働運動史研究者)


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